インプラント療法とは

むし歯、歯周病、外傷などによりご自身の歯を失う、あるいは先天的に歯が生えてこないなど歯が無い部分を補う治療法を研究する分野を補綴ほてつ学と呼びます。多くの先達による試行錯誤の繰り返しから、優れた治療手段として確立されてきた、取り外しができる義歯、あるいはセメントでしっかりと固定されるブリッジが一般的に臨床で多用されています。しかしながら、そのような修復物(補綴装置)をもってしても、機能的、精神的あるいは場合によっては審美的な回復が難しい患者さんもいらっしゃることは事実です。

失われた歯根に代わる人工歯根を顎の骨に植えて、それを歯とする試みは古代エジプトやインカの遺跡などからも発掘されている報告があります。近代歯科医学では、ちょうど100年前の1913年、アメリカの歯科学術誌であったDental Cosmosに投稿された歯科医師グリーンフィールドE. J. Greenfieldの論文が幕開けと言えます。その後、多くの試みがなされましたが、基礎的研究が十分ではないままに臨床応用された結果、多くの問題点が噴出しました。わが国においても1950年代後半年から臨床に応用されたものもありますが、多くの問題を抱えたことから、いわゆる歯科界のオピニオン・リーダーと目される歯科医師からは疎んぜられる治療法とのレッテルが貼られました。

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今日のインプラント療法の礎は、インプラントと骨組織とのしっかりとした結合、すなわちオッセオインテグレーション(Osseointegration)と呼ばれています。 1962年、スウェーデンの医師 ペル・イングヴァール ブローネマルク Per-Ingvar Brånemarkが、毛細血管内の血流の観察、組織の治癒機転の研究に用いたチタン製実験装置が大型の家兎(ベルジアン・ラビット)の脛骨から外すことができなくなったことがきっかけです。当時の医学界では信じられていなかったその現象をブローネマルクは整形外科領域に応用することを念頭に置きましたが、当時のスウェーデンでは健康保険制度の変革後の影響で、一般的な義歯に悩む患者さんが多くいらしたことから、口腔内への適用を優先しました。もちろん、すぐに実際の患者さんに応用するわけにはいきませんので、数年間にわたりビーグル犬を対象に生物学的、力学的な検討がなされた後の1965年に初めてヒトに対する応用が開始されました。その患者さんは、最初は下顎、のちに上顎にも適用され、その後、悪性腫瘍によって切除された右側の耳介の代わりになる修復装置を固定するインプラントが埋入され、2006年に逝去されるまでの41年間にわたり、高い生活の質(QOL)を維持されました。1965年の臨床応用から約15年間は、ブローネマルク研究室の関係者に限って治療が進められ、すべてのデータが検証されました。1980年代に入り、ここまで立証されたならば、他の医療従事者に公開しても安全であろうとの結論に達して、1982年、カナダのトロント大学でのシンポジウムが契機となり世界中が注目するようになりました。このような開発から世界への発信に至るまでの姿勢が、医療ではもっと尊重されるべきではないでしょうか。新しいものに優れたものが多くあることは事実です。しかしながら、患者さんの負担を最小限にしながら、長年月にわたり好ましい結果を提供することを優先すべきではないでしょうか。この治療法を確立したブローネマルク教授が、1982年に語ってくださった言葉を今でも大切にしています。『オッセオインテグレーションの獲得とその持続のためには、優れたハードウェアだけではなく、生体組織の生物学的特性を理解したソフトウェアが必要です。』言い換えるならば、いかに優れた臨床成績を残してきた方法であったとしても、生体組織の持つきわめて繊細な仕組みを理解しないままに、臨床応用されたならば、決して良好な結果は得られないということです。組織との親和性に優れた素材を用いたとしても、私ども歯科医療従事者が安易な気持ちで治療に当たってはいけないという戒めでしょう。

インプラント療法は、適切に応用され、かつ患者さんの協力が得られるならば、長年月にわたり喜んでいただけるものと確信しています。しかしながら、すぐ足元の問題点の解消を最優先にして、遠い将来を見据えていない治療法が最新のものであるかのように喧伝されていることに憂慮しています。